終章


「土方さ……土方副長!」

ドタドタと慌しい足音が聞こえ、程なくして無遠慮に襖が開いた。
土方は書類を整理していた手を止めて、眉をひそめる。
「お前ようやく隊務に復帰したのに、布団に逆戻りする気か?無茶をするなと何度…」
「大変です!恋文をこまめに整理している場合はないですってば!」
「何だって言うんだ」
土方は文を組紐で縛ると机の脇に置いた。
一瞬何かあったのかとドキリとしたが、沖田が暢気な声を上げて来たことから、
とんでもない変事があったとは思いにくい。
池田屋の事件から数ヶ月たち、隊も大きく変化して動き出そうとしている。
江戸から伊東という男を迎えたことで、新選組という組織自体が独り歩きし始めたように土方は感じていた。

「えーとえーと、あのですね」
息を切らせて走ってきたくせに、沖田はキョドキョドと落ち着きなく瞳を動かすだけで、
本題に入ろうとはしない。
「さっさと言え」
「あ、そうだ!そろそろ月命日じゃないですか」
「…誰の」
「誰かの」
「お前ぇ、俺に殴られにきたのか」
「違います!とにかく急いで外に出てください副長!」
「はぁ?」
「花を買ってきてください!急いで!」
花、という単語に土方の動きが止まった。
「花、だと」
「榊でも仏花でもなんでもいいですから早く!」
土方は座りなおし、何もなかったかのように改めて机に向かった。
「副長!」
「お前が誰に何を聞いたのか知らんが、俺は二度と花は買わない」
「なぜですか?誰に義理立てしているんですか」
「黙れ」
「黙りませんよ。私が言わなきゃ誰が言うんですか。
いいですか、ここには副長にお守りしてもらわなきゃいけない人はいません。
副長が勝手に一人で煮詰まっても迷惑です。局長のように胃痛になっても困ります。
あなたはあなたの好きなようにしていいんです。私生活まで縛られる必要はどこにもありません。
大体おなご相手に何をびびってるんですか。取って喰われりゃしませんから、
気分転換に外に出てきてください!ほら早く!」





いつの間にか、季節は秋に転じていた。
頬をなでる風が冷気を含み、頭上で屋敷の塀からはみ出した金木犀が香っている。

「花いりまへんかー」

澄んだ空に響く涼やかな声は土方の中の郷愁にも似た切なさを呼び起こす。
遠くから見ても一目で見分けがつく、紺と白が織り成す清楚な衣装。
籐箕を頭に戴き、京の町で花を売る柔らかな後姿。
竜胆に女郎花と秋明菊、籐箕にのる花たちは落ち着いた色彩に変化していた。
どうして、懐かしいなんて思うのだろう。
たった一つの季節の間、会わなかっただけなのに。

「一つ、花をくれないか」

意を決して声を掛けたのは、その背中が随分離れてからだった。
駒の背中が一瞬強張って、間を置いてゆっくりと振り返る。
「へぇ。おおきに」
駒は笑顔を浮かべていた。
さぞや恨まれているだろうと覚悟していた土方は不覚にも、言葉を失ってしまった。
籐箕を乗せたまま、近づいてくる駒を見据えたまま、土方は言葉が出てこない。
痛いくらいの駒の優しさが胸を刺す。
今の自分はさぞ、情けない顔をしていることだろう。
「どの花にしやしょ。売るのが惜しいくらい綺麗に咲いた子ばかりどすえ」
そう言って、初めて会った時と同じように、籐箕を下ろして中を見せる。
紅、黄、群青、緑、色の洪水が目に眩しい。
「駒」
「へぇ」
何の気負いもなく、駒が答える。
堪らなくなって、土方は手を伸ばしていた。
だから、会いたくなかったのというのに総司のやつ。

「苦しおす」
「駒」
「ちょっと待っておくれやす。花が…」
土方は吹き出した。
「お前、こんなときまで花の心配か?」
「花は白川女の命どす」
即答する駒に、土方は笑いを漏らしてなおいっそう抱きしめる。
籐箕をおろした駒の手が土方の背中に回った。
ずっと会いたくて、でも勇気が出なくて、壬生までやってきたのは賭けだった。
妥当に、安全に、何も失わないように生きてきた駒の一世一代の賭け。

「好きどす」

懐かしい白檀の香りに包まれながら、初めてそう口にした。
抱きしめられるたび、笑顔を向けるたび、心の中で唱えていた言葉。
「…先に言われたら言いにくくなる」
土方の言葉に、今度は駒が笑った。
「最近、眠れないことが多い」
「しんどかったんやね」
言われて初めて、自分は辛かったのだ、と土方は思う。
いつの間に、自分の痛みに鈍感になってしまったのだろう。
「また子守唄を歌ってくれないか」
「毎日?」
「ああ、毎日」
駒は頷いて、指先に一層力を込める。
そんな容易いことならば、幾らでもしてあげたい。
好きだ、と低く耳元で声がした。

毎日、色んな人が花を買っていく。
馴染みもいれば一見の客もいた。
その一つになるはずだった。
でも、始まってしまったのだ。

「あんな、一つだけお願いがあんねん」
「なんだ?」
体を離して土方は駒を見る。今まで見たどんなときよりも優しい顔をしていることに、
きっと彼自身気づいていないのだろう。
「トシゾウさんの、名前を教えとくりゃす」
土方は首をひねる。とっくに教えたものだと思っていた。
「…言わなかったか?」
「トシゾウとしか、言わへんかったえ」
「そうか」
二人は向かい合う、もう一度始めるために。

「土方歳三だ」
「駒どす」

星はもう手に届かないところにはない。
歩み寄ったところから、始まるのだから。


---終---

ご愛読ありがとうございました。多謝!


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