第二十五話「みんな大好き夏の果実」


何か良い匂いがする。

そう宗次郎が呟いた。
日が沈み始めた夏の日。
夕餉を期待して囲炉裏の側に集まった人々は、その宗次郎の声に顔を上げた。
「そういえば匂いがするね」
刀の手入れをしていた平助が首を捻る。
「台所で料理をしているせいではないか?」
合理的な意見を言ったのは山南だ。しかし宗次郎は首を振る。
「ううん。さっき見てきたけど違った」
見てきたのか、と山南が低く笑うのを無視し、宗次郎は匂いの主を突き止めようと真剣になる。
とてもよく知っている匂いなのだ。
「なんだろう。甘い…」
宗次郎はきょろきょろする。甘く、芳醇なその香り。
食欲をそそる、夏の風物詩。宗次郎の大好きなあの…。
鼻を動かしながら、移動する。
そしてある人物に行き当たった。
「…歳三さん?」
この甘い匂いとは縁も無ささそうな人物に。
「ん?」
足を伸ばして行儀悪く座っていた歳三は顔を上げた。
「俺?」
自身でも驚きの表情。あっと左之助が声をあげた。
「あーお前さっき、庭で行水してたんじゃねぇの!」
左之助は何故か鼻の穴を膨らませて怒っている。
「したけど…」
「あの樽の水はなぁ。俺が瓜を冷やしておいたんだ。水に匂いがうつってたんだよ!」
「ああ、どうりで…。ていうかお前はあの水どうするつもりで置いておいたんだ?」
「後で飲もうと思ったんだよ!」
「……」
当然!とばかりに拳を握った左之助に歳三は冷たい視線を向ける。
合点がいった宗次郎は「そっかーいいないいなー」と連呼しながら、歳三の横に座った。
その目が不気味に爛々と輝いている。
「良い匂いー美味しそうー」
「チクショウ俺の瓜…。いいなー良い匂いだなー」
左之助も隣にやってくる。歳三は急に閉塞感を感じた。
「お前ら…」
ん?と両脇の二人が歳三を見る。
「俺を食うなよ!」
食わないよっと憤慨した声が上がる。


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第二十六話「私を初詣まで連れてって!」


「寒い」
「…」
独り言のような、でもはっきりと聞こえる呟きがある。
歳三は地蔵になったつもりで神妙に目を瞑っている。
「寒いよー」
「…」
「寒い寒い寒いー」
「…」
「さ」
「チビ!いい加減にしやがれ!!」
もともと気は長いほうではない。
いい加減我慢の限界がきて歳三が怒鳴ると、すぐ隣にいる宗次郎が襟巻きに埋めていた顔をちらりとあげた。
「だって寒いんだもん」
「そんなのは俺だって寒い。でも寒いって口に出しても寒いもんは寒いんだよっ」
「じゃあ暑い暑いって言ったら寒くなくなるかな」
「…」
反論する気にもなれず歳三は口を閉じた。
その後しばらく宗次郎は「暑い暑い」と繰り返していたが、
そのうち飽きたのか静かになった。やれやれと歳三は息をはく。
「…」
「…」
「お腹すいた」
「…お前は動物か!!」
「だってちっとも進まないんだもん。なにこれ。なんでこんなに混んでるわけ」
「俺が知るか」
確かに境内の階段に並んだ列は、ちっとも短くなる気配を見せない。
後ろを振り返ってみると、すでに自分たちの後にも長い列が出来ていて、
いまさら引き返すのも癪だからただ並んでいるだけだ。
寒気が足元を這い上がってきて、歳三はぶるりと身震いをした。

「若先生はどこにいるのかな…」
「この境内にいるのは確かだな」
「何で今年はいつもの近所の神社に初詣に行かなかったのかな」
「どうせ山南辺りが知恵をつけたんだろうよ」
ばかばかしい。初詣なんてどこ行ったって一緒だというのに。
宗次郎は分かっているのかいないのか、フーンと興味なさげに相槌を打ってあたりを見渡している。
はぐれてしまった大好きな先生を探そうとしているのだろうが、
この人ごみでは無理だ。歳三は早々に諦めている。
前も後ろも人の気配がしてなんとも不快だった。
そのうち宗次郎がぐるぐる動かしていた首をふいに止めて、「あ、」と興奮した声をあげた。
「歳三さん、左に獅子舞がいる」
「ああ」
「人の頭でよく見えない」
「…」
「歳三さん」
「あー!もうめんどくせぇ」
どうにでもなれ、という気持ちがして、歳三は横にいた子供を抱き上げた。
突然の出来事に驚いた宗次郎が、声をあげてしがみついてくる。
肩に担ぐようにして、その行列を抜け出す。とたんに冬の清涼な空気が頬を掠めた。心地よい。
「ねぇ初詣は?いいの?」
「あとあと。獅子舞見に行こうぜ獅子舞」
宗次郎は「なぁんだ歳三さんも見たかったんじゃない」と憎たらしいことを言って顔を綻ばせた。
破魔矢、風車、熊手に絵馬に御神籤に、お正月の神社にはきらびやかなものが一杯だ。
行列に並ぶなんて、時間の無駄ではないか。
人を掻き分けて前に出る。
雄雄しい獅子舞が、軽やかな笛の音に合わせ踊っている。
体をくねらせ、獅子舞がこちらを見た。
「宗次郎!」
「ん」
担がれた子供が細い首をうな垂れ、獅子舞に頭を差し出す。
大きく空けたその赤い口に噛まれて、子供は一年の健康を約束されるのだ。
そうしてまた、新しい年が始まっていく。

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