第二十一話「大人になるには」
ほんの、好奇心だったのだ。
「まずっ」
初めて口にした煙はただ苦いという味覚しか残さなかった。
思わず咳き込んでしまい、体一杯で拒否反応を示す。
背を向けて書き物をしていた土方が驚いて振り返った。
「何やってんだお前!」
手にした煙管を取り上げられて、宗次郎は不満げに声をあげた。
「何すんですかー」
「そりゃこっちの台詞だ!」
土方は取り上げた煙管を宗次郎が届かないよう高く掲げた。
珍しく焦ったような土方の声に宗次郎は笑いそうになる。
「自分はいつも吸ってるくせに」
「餓鬼の吸うもんじゃねぇ!」
土方は意外とこういうことに細かいのだ。
呆れ顔で煙管盆をずるずると自分の側に引き摺る。
それに慣れた仕草で灰を落とす。カン、と小気味良い音がした。
「どこが美味しいんですか、そんなもの」
土方も永倉も原田も―さすがに山南は吸わないが―、
大人たちは皆まるでそれが当然のたしなみであるかのように煙草を吸う。
そんなに美味しいものなのかと宗次郎はずっと不思議だった。単なる煙なのに。
「大人になりゃ分かる」
面倒になって土方はそう適当に答える。
「具体的にはあと何年くらい?」
「はぁ?そうだなー、ふ…」
筆おろしが済めば、と言おうとして土方は口を閉じる。
「ふ?」
「…」
「ふ?ふ?」
「うるせぇ!邪魔すんならあっち行ってろ!」
まくし立てると宗次郎は顔をしかめて両手で耳を塞いだ。
試衛館の仲間相手なら品性下劣な猥談でも平気でできるが、
どうも宗次郎相手になると社会性に欠いたことをしている気分になる土方であった。
「あー咽喉の奥から煙の味がする…」
盆に落とした灰から緩く紫煙が立ち昇っている。
05/4/9
第二十二話「いつも笑っていて欲しい」
勇先生の目はいつも笑っている。
おはようを言う時も、ご飯を食べている時も、
稽古をつけるときでさえ、どこか人懐っこい優しさを帯びている。
厳つい種類の顔に、動物のような丸い目。大きな口。
宗次郎は勇の顔が好きだった。
抱き上げられた時、ごつごつと骨っぽい頬に手を這わせると、
目がぐっと細く笑う。焼けた濃い褐色の肌にざらざらとした髭の剃り跡。
勇はふざけて宗次郎に頬を摺り寄せてくる。
きゃーっと宗次郎が悲鳴をあげると、勇は笑いながらますます宗次郎の柔らかい頬に寄せるのだ。
例えば疲れている時も、勇は同じように笑っている。
自分では隠せていると思っているのだろうが、
部屋に入ってきた瞬間に、宗次郎にはそれが分かる。
そしておそらく歳三さんにも。
言葉でも表情でも仕草でもない。
勇が落としてきたと思っている、彼が纏っている空気のせいで。
長い時間を共に過ごした者たちに備わっている特別な感覚によって、私達にはそれが分かる。
外で何があったのかは、知らない。知ろうとは思わない。
勇先生が言わないということは、宗次郎が知らなくても良い事なのだろうから。
例えばそれが仕事や大人の事情に関することならなおさらだ。
宗次郎はいつも通りにする。
お茶を薦め、ご飯を薦め、今日あった出来事を面白可笑しく話す。
歳三さんは激烈な突っ込みをして場を沸かせる。
勇先生は笑う。その笑顔がいつも通りの温度になるまで、私達は色んな話をする。
勇先生はとても人が良いので、大抵はそれで上手く行く。
口には出さないけれど、歳三さんもそう思っていると思う。
私達に共通していることは、勇先生のことが大好きということなのである。
8/2
第二十三話「いつも笑っていて欲しい2」
勇先生とは反対に、歳三は「一生分の笑顔を使い果たしてきました」という顔で帰ってくる。
宗次郎にはよく分からないが、客商売というのは精神を使うから大変らしい。
しかも何故か時々歳三は痣だらけになってきたりするから不思議だ。
「歳三さんどこに行ってたの?」
「だから仕事だよ、しーごーと!」
「なんで仕事で殴られるの?」
「うっせぇ!ばーか!」
歳三はやけくそのように、宗次郎のばーかばーか!と連呼した。
「八つ当たりするなよ、トシ」
手当てをしていた勇が苦笑する。
歳三が家に真っ直ぐ帰らずに試衛館で治療を受けるのは、
家族に怪我のことを知られたくないからなのだ。
「はい、手当て完了。後は石田散薬でも飲めばすぐ治るだろう?」
「だよなー。…」
「ん?」
「なぁ、効くよな?」
道具箱を片付けだしていた勇と宗次郎は同時に目線を上げた。
一瞬独り言かと思った小さな声。
答えを請う必死な歳三の瞳と出会う。
「だから聞いてんの。効くよな?!石田散薬!」
二人は目を見合わせる。そしてにっこり笑って歳三に向かい合った。
「ああ効く効く!すごく効くさ石田散薬は!なぁ宗次郎!」
「うん。さすが歳三さんが作った薬だよね」
「石田散薬があるから怪我など心配いらない」
「あって良かった石田散薬!」
慣れた掛け合いの披露に、歳三は満面の笑みを浮かべた。
心なしか顔に生気が戻ったように見える。
「だよな!そうだよな!おっしゃああ!!明日も売るぞ!」
気合を入れて拳を握る歳三を見て、
宗次郎は噴出しそうになるのを腹筋に力を入れて堪えた。
「そうかそうか頑張れよ。じゃあひと段落ついたところで飯にするか」
満足げな勇の言葉に勿論反対するものなど一人もいない。
「今用意します!」
宗次郎はふやけた顔を歳三に見られないように、台所に走っていった。
05/8/31
第二十四話「秋の日の楽しみは」
色落ちた葉が地面を染めて、真っ赤な敷物を広げていく。
シャッシャッという妖怪小豆研ぎが出すような音を聞いて、歳三は目を醒ました。
「歳三さーん歳三さーん」
「………」
「ねぇねぇ起きてくださいよーていうか起きてるんでしょー」
「……」
「どうして無視するんですかー。あ、そうだ分かったこの窓から水を」
「…だー!!!」
「あ、起きた」
庭に面した窓から部屋の中を覗き込んでいた宗次郎は、満足げに言った。
その手に箒が握られているのは、たった今まで聞こえていたように、
宗次郎が掃き総司をしていたからだろう。
試衛館の前には大きな落葉樹の木があって、盛大に葉を落とすので、
毎日のように掃かねばならず、問答無用で年少の宗次郎の仕事となっていた。
「閉めろ!寒いだろ!」
布団を被ったまま、二日酔いの歳三にできる精一杯の”怖そうな声”を
出したが、あいにくこの小僧には全く響かなかったらしい。
にこにこ笑いながら、機嫌よく箒を左右に揺らしてみせる。
「沢山落ち葉が集まりましたよー。ねぇねぇ焼き芋をしましょうよ」
「ふざけんな。殺されてぇのか」
「だって一人じゃつまんない」
「芋が!食える状態に見えるかチビ!」
「うーん。頑張ればたぶん」
「何で俺がお前のために頑張んなきゃなんねぇんだ!」
落ち葉なんか庭に埋めとけ!と怒鳴ったものの、
何故か歳三はその後焚き火を囲うことになる。
結局なんだかんだ言って、自分はこの子供に甘いのだ。
ため息をつく。
「おい、火傷すんなよ」
勇がいないから、自分がこんな世話事を言わなければならず腹立たしい。
「はーい」
火の中から取り出した芋を地面に転がして冷ました後、宗次郎は器用に皮を剥く。
もう季節はいつの間にか冬に近い。吹く風の冷たさに首をすぼめながら、
半分に折った芋を宗次郎から受け取った。
「また一つ、季節が終わりますね」
「そうだな」
口に含んだ新物のさつまいもは、ほんのりと甘い。
「次のこの季節も、こうして焼き芋ができるかな?」
着物の袖を伸ばして芋を包みながら宗次郎が言う。
なんだか殊勝なことを言うなぁと土方は宗次郎を見た。
「お前がいい子にしてればな」
「なんか私のことすごく子供扱いしてません?」
「焼き芋するって大人を起こす奴はどこから見ても子供だろ」
「怒ってます?」
「すげー怒ってる」
外で食べる焼き芋は、無性に美味しく感じられた。
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第二十五話「お父さんは心配性」
「宗次郎、外は寒いからね、この綿の羽織を着るといい」
「はい、わかせんせい」
「それからこの襟巻きを巻いて」
「はい、わかせんせい」
「手が寒そうだね、この毛糸の手袋をしなさい」
「はい、わかせんせい」
「…おい」
歳三は耐え切れず突っ込んだ。
振り返った宗次郎はまるで雪だるまのように着膨れている。
「そこの万屋に使いに行かせるだけだろう?!」
「そうだけど、宗次郎は体が弱いんだ。この間だって熱を出して七日も寝込んで」
「いや知ってるけどさ」
言う勇の眉は義三が見たこともないほど情けなく下がっている。
この子供のこととなると勇は腹が立つほど心配性になるのだ。
歳三にはそれが気にいらない。なんだか知らないけど、悔しい。
「それでも過保護にもほどがあるんじゃねぇの!
チビだってそんなに着込んだら暑いし迷惑だろ?な!」
凄まれて、宗次郎はびくりと体を震わせた。
その瞳が伺うように勇と歳三を行き来する。
わかせんせいと、としぞうさん。小さな頭で二人が秤に掛けられる。
そしてそれはあっさりと片方に傾いた。
「……そ」
「「そ?」」
詰め寄る大人二人。
「そんなことないです。せんせいありがとう」
「そうか宗次郎」
宗次郎が勇気を持って若先生を取った途端、勇の笑顔がだらしなく崩れた。
その隣で歳三はバカバカしいとばかりに鼻を鳴らす。
「では、いってまいります」
こじんまりとした体が窮屈そうに折り込まれて、宗次郎が礼をした。
そして着膨れた重みでヨロヨロとぎこちない様子で歩いていく。
二人はそれを玄関から見送った。
「動物みたいだなぁ…」
「は!そういうのを猫かわいがりっていうんだ。見てろ、そのうち絶対拒否されるぞ」
今年もいつの間にか秋が冬になる。
子供じゃあるまいし結構です、と素気無く宗次郎が言い放ち、
勇が密かに衝撃を受ける日が来るまで、あと数年。
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