第十六話「一人稽古」


一体何のために、毎日竹刀を振り続けるのだろう。
腕を止めて前かがみになり両手を膝に当てながら、宗次郎は乱れた息を整えた。
自分の心臓の音と、繰り返される呼吸と。
凍てた外の空気が一気に肺に入り込んで、軽く咳き込む。

時々、自分がどこに向かっているのか分からなくて、
ひどく不安になるのだ。

体を起こすと重い疲労感が広がった。
道場の壁に背をつけると、ずるずると座り込む。
いつの間にか日が落ちたらしい。
静まり返った道場内に動くものは何もない。

こんな日がどれだけ続いていくのだろう。
どれだけ腕を上げても、世間は宗次郎を認めない。何も起きたりはしない。
近藤も土方も誰も不安には思わないのだろうか。
それとも皆大人だから口に出さないだけなのか。
今が楽しいだけで、いいのだろうか。

苛立ち紛れに竹刀を蹴り上げた。
乾いた音を立てて、床に転がったそれを無感動に見る。

少しずつ濃くなる伸びた影。
急激に汗が引いてきて、宗次郎は唇を噛む。
やがてのろのろと立ち上がり竹刀を拾った。

…宗次郎の無作法を叱る人もからかう人も、今日は道場を訪れないらしい。


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第十七話「いざ大掃除」


采配は失敗だった。

「今から大掃除を始める」
はい、と頷いた神妙な顔を見渡し、勇はそれぞれの役割を申し伝える。
「トシは玄関掃除。山南さんは蔵の整理。宗次郎は障子の張替え。
新八は廊下の雑巾がけ。左之助は屋根の修理。平助は各部屋の掃除。
ツネと母上は台所を頼みます。私は庭の木を剪定する。
では、おのおの方ぬかりなく!

何がいけなかったのか。
玄関を掃いていたトシは女の子に声をかけられてふらりといなくなってしまった。
蔵書を整理していた山南さんはいつのまにか本を読みふけっていた。
宗次郎はどんな造形で障子の穴を開けるかという芸術に熱中していた。
新八は廊下の板の間の隙間に埋まっている塵を爪楊枝でほじるという細かい作業に、
とり憑かれたようにムキになっていた。
左之は屋根で日に当たりながら昼寝をしていた。

結局真面目に作業に取り組んでいたのは勇と平助と女性陣だけだった。
それでも一応部屋は整えられ、庭木はすっきりしたので、
まぁいいかと思いながら試衛館の人々は女性たちが作った年越し蕎麦を食べた。美味しかった。



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第十八話「少年たちは何で遊ぶ」


食客が増えて何が楽しいかというと、
誰かしら遊んでくれる人がいるから楽しい。
トシさんは気が乗っている時はこちらが邪魔に思うほど絡んでくるが、
そうでない時は全く相手にしてくれない。氷のような視線でちらりと見て、
後は完全無視である。虎を起こす覚悟が無い限り、決して話しかけてはならない。
その点、いつでも遊んでくれるのは平助だ。
同年だから名前を呼び捨てに出来るのも良い。
今まで周りにいたのは目上の者ばかりだったから、
呼び捨てにするというのがひどく新鮮だ。

「へースケ!」
廊下で叫ぶと一つの部屋から顔だけを出して、なに?と応えてきた。
山南さんの部屋だ。同門という気安さからか、
平助はしょっちゅうこの人の部屋に入り浸って本を読んでいる。
「ヘースケ」
嬉しくて、名前を連呼してしまう。何か用?と重ねて平助は聞いてくる。
同じ大人の中で過ごしてきた子供のはずなのに、
この少年は自分と比べると律儀で真面目で思慮深い。
大人の中に混じっていても違和感がないのが不思議だ。

「ヘースケ、雪が降ってる」
宗次郎が叫ぶと、そうだね、と平助は応じる。
「かまくらを作って遭難ゴッコをしよう」
そんなに積もらないよ、と冷静な答えが返ってくる。
「じゃあ、雪玉を作って敵を襲撃しよう」
敵って?と平助は目を丸くする。
「トシさん。すごく機嫌が悪そうだった」
…そんなことして怒られない?と静かな声。
「一緒に怒られるのもきっと楽しいよ」
ガラリ、と襖が開く音がした。足音と共に、笑う平助が目の前に現れる。
「反撃に備えて、砦を作ると効果的だね」
言ったのは平助だ。宗次郎は嬉しくなる。
二人で作戦をたてながら庭へと向かう途中、平助はこっそりと教えてくれた。
「そう指南してくれたの、実は山南さんなんだ」
それを知ったら敵は髪を逆立てて怒るに違いない。


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第十九話「鬼の霍乱」


まるで海上を漂っているかのように、
時々、ふ、と意識が戻る。
障子から差し込む光の角度に大きな変化が見られないことから、
そう時間が経っていないことを知る。
おそらく一つ一つの眠りが浅いのだ。
熱に浮かれた思考でぼんやりと考えて、
視線だけをめぐらせて周りを確認する。
目が覚めるたびに、違う誰かが側にいる。
「能面みたいですよ」
宗次郎の軽口に言いかえそうとするのだけれど、
口が粘ついて上手く声にならなくて、恨めしげに見上げた。
「心配しなくても、ちゃんといますから」
もう一度寝てください、と柔らかい声が振ってきて、布団を数回なだめるように叩いた。
その感触が妙に眠りを誘って、土方は素直に目を閉じた。
何故だか不安になるのだ。
側にいると言われても、目が覚めたらまた確認せずにはいられない。
取り上げられた額の布が新しいそれに代わって、ひやりと心地良い感触がした。
意識は堕ちて、土方は再び原始の海に沈んでいく。


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第二十話「孤独な道往き」


目の前に広がるのは一面の白。
その圧倒的な色彩は田を多い尽して、人を家屋敷に篭らせる。
かじかんだ手のひらを数回握ったが、鈍い感覚が還ってきただけだった。
息を吹きかけても見るけれど、そんなものは気休めで。
誰も歩いた痕の無い細い道の雪を漕ぎ、宗次郎は多摩へと向かう。
歩き慣れた道だった。なのに冬になるたび、何故か新鮮な孤独を感じるのだ。
何も聞こえない。
世界は音を立てるのを止めたらしい。
ザクリ、ザクリと雪を噛み締める足音。歩くたびに軋む関節。
聞こえるのはそんな自分の立てる音だけだった。

ふと呼ばれた気がして、襟巻きに埋めた顔を上げた。
立ち止まって振り返ってみたけれど、あったのは限りなく続いていく自分の足跡だけ。
枯れた木々に被った雪が落ちた音が、視界で確認した瞬間から数秒遅れて耳に入る。
誰も自分を呼ぶ者などいないのに、何故呼ばれたなんて思ったのだろう。
荒い呼吸で吐き出された息が雲のように周辺にわだかまる。

再び雪が降り始めていた。
雨と違い音がないせいかそれは唐突な感じがして、思わず宗次郎は空を見上げた。
無造作に無秩序に降り注ぐ、白い綿雪。
きっと歩いてきた足跡さえもすぐに覆い隠されてしまうだろう。
竹刀を背負いなおし、宗次郎は歩き出す。
この先に自分を待つ人々がいるのだ。
頭に積もった雪を払ってくれ、寒かっただろうと笑ってくれる笑顔を、今何よりも見たかった。


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