第一話「憧れ」
早くあんな風になりたいな。
勇の大きな背中や、筋肉のついてごつごつした体を見ていると、宗次郎はそう思う。
”大人の男”って感じがする。
私の細くてなまっちろい腕とはえらい違い。
宗次郎は手のひらを広げてみる。…もみじの手だ。
先生に訊くのは恥ずかしいので、歳三さんに訊いてみることにした。
「どうすれば大きくなれるの?」
「ああ?」
稽古の後、乱雑に手拭で顔を拭いていた歳三は怪訝そうに振り返る。
「早く大きくなりたいんです」
宗次郎は訴える。
「ふーん…」
歳三ににやにや笑いが浮かんだ。
「そうだな、生卵を10個呑み込むんだ」
「本当?」
宗次郎は目を丸くする。
「本当だって。かっちゃんも俺もそれででかくなったんだぜ」
鼻の穴を広げて得意げな歳三。
そうか生卵か。
宗次郎は神妙に頷く。
…そして翌日、お腹を壊して寝込んだのは、
全部歳三さんのせいだ。
04/6/27
題二話「姉のこと」
姉は美しい人だ。
宗次郎はそう思う。
墨を落としたような闇の中、微かな火鉢の灯りと一筋の月明かりで、
縫い物をしている姉が浮かび上がって見えていた。
姉は熱心に手元を覗き込んで、宗次郎の着物のほつれを直していた。
半ば背中を向けてはいるが、白い頬が赤く染まっているのが見て取れる。
行灯を点けたら、とは言えなかった。
家は貧しいので、節約出来るところはとことん節約している。
火鉢の炭だって、宗次郎が近藤家から里帰りをしなければ、
きっと使わずに夜は早々に寝て、お互いの体で暖を取るつもりだったのだ。
「早く寝なさい、宗次郎」
宗次郎の視線に気が付いたのか、姉は振り返った。
涼しげな目元が微笑んでいるのが、暗闇でも分かった。
うん、と言いながらも、宗次郎は布団から頭だけを出して頬杖をつきながら姉を見つめていた。
姉は美しい人だ。
例え粗末な着物を着ていようとも、手が荒れていようとも、
そういうことで失われる種類の美しさではなかった。
「終わるの、待ってる」
宗次郎がそう言うと、姉は笑って、また手を動かし始めた。
04/7/8
第三話「抱擁」
夏の倦んだ空気が体に纏わり付いていた。
うだる暑さを感じながら、宗次郎は縁側で大の字に寝そべっている。
家の諸事も片付いていた。稽古の時間には間がある。
自主的に庭で木刀を振ろうと思ってやってきたものの、
暑さに閉口し結局は放り出してただぼんやりと夏に同化していた。
と、土を踏む足音が聞こえたような気がした。
首だけをめぐらせて、垣根の向こう側を見る。
丁度人の背丈と同じくらいの垣根に土方の頭の先が見えた。
トシさん、と声を掛けそうになった口を開けて、宗次郎は気づく。
隣に誰か居る。
頭が出ていないからすぐには気づかなかったものの、
鮮やかな着物が垣根の緑越しに見えていた。
ぼそぼそと話す声が聞こえてくる。
宗次郎は見てはいけないものを見てしまった気がして、
立ち去りたい衝動に駆られたが、そのためには起き上がらなくてはならず、
垣根の向こう側の二人にも宗次郎の存在を知られてしまう、と思えば身動きも出来ない。
居心地の悪さを感じながらも息を殺していると、
ふいに土方が女を抱き寄せた。
あっ。声が出そうになる。
まるで一つの影になってしまったかのように、二人は動かない。
土方が女の額の髪の生え際辺りに、そっと唇を付けるのが見えた。
その優しい仕草に、宗次郎は目を見張る。
見つかれば怒られる、と思いながらも二人から目を離すことが出来ない。
瞳を閉じた土方の横顔がとても綺麗だった。
04/7/25
第四話「立ち込めるは夏」
「さぁ、宗次郎おいで」
白い母の腕が、差し出した宗次郎の手を力強く引っ張った。
「じっとしていると、蚊に刺されちゃうわよ」
先を行く二人の姉が笑っている。
夏の墓参りはむせ返るような緑の香りと蝉の鳴き声と、
土を踏む感触ばかりが鮮やかに思い出される。
鎮守の森にずらりとならんだ墓石は一種神聖な感じがして、
幼い宗次郎を怖気させるには充分な重々しさを発していた。
父が眠る墓所に水を打ち、姉たちは花を捧げながら、
宗次郎の知らない父の思い出話をする。
まるで自分が他人の子になってしまったようで、
宗次郎は黙り込んでしまうのだ。
足元を大きな蟻が歩いていく。
「お前もお参りするのよ。父上様にお礼を言って」
母の諭す声に従って、見よう見まねで手を合わせてみるけれど、
父の前にいるという実感は湧いてこない。
姉を盗み見ると、目を瞑って神妙に祈っていた。
宗次郎も真似をして、目を瞑ってみる。
体中に満ちる蝉の声、瑞々しい樹木の香り。
家族が静まりただ祈る刹那、
宗次郎は心だけがどこか遠くに飛んで行ってしまいそうな感覚に囚われて、
側にいる母の手のひらをそっと握った。
04/8/12
第五話「小麦色」
トシさんは日に焼けないタチであるらしい。
本人は口にはしないがかなり気にしているらしく、
宗次郎が河原で昼寝をしていると、
いつのまにかトシさんが来て一緒に横になっている。
それを繰り返してきた宗次郎は真っ黒になったが、
トシさんは鼻の頭が真っ赤になってしまった。
・・・痛そう。
むっつりと黙り込んでいるトシさんに、
肌に貼ると効くと聞いたきゅうりを差し出してみたけれど、
そんな女子供のすることが出来るかと頭を叩かれた。
・・・いじっぱり。
そのうち、真っ赤だったトシさんの背中は皮がむけてまだらになった。
・・・脱皮みたい。
後ろから皮をむしりたい衝動に宗次郎は耐えている。
「テメー触んなって!」
伸ばした手を再び叩かれた。
時々小麦色に焼けた肌に恨めしそうな視線を感じる。
もう夏も終わりだ。
04/8/19
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