初めて刀を手にした時は、その重さに足が震えた。
物質の重量だけでなく、手を動かすだけで人も自分も傷つけるという怖さ。
しかし今はもう足が震えることはない。
怖ろしさに竦むこともない。
柄を握れば深く研ぎ澄まされた感覚が体中を支配して、
相手に刃を向けながらひどく落ち着いている自分が居るのだ。
真実の夢はどこ
後ろに人の気配がしていた、
声を掛けてこないのは、総司が刀の手入れをしているからだろう。
万一、唾液が刀身に掛かれば、其処から錆がくる。
手入れをする際に、懐紙を口に加えるのは話す頃への戒めなのだ。
油を拭き取り打粉を掛け、最初と同様に刀身を拭い、最後に新しい油をひく。
「良い刀だな」
鞘に収めたところで、土方がそう言った。
「ありがとうございます」
「買ったのか」
「はい」
土方は総司の横に座って、手渡した刀を検分し始めた。
「銘は?」
「さぁ・・・」
「銘も見ないで買ったのか」
土方は苦笑している。
「よく切れて、丈夫ならそれでいいですから」
「・・・ふん」
土方は複雑な顔で、静かに納刀した。
刀の柄を握ったまま固まった押さない宗次郎に、怖がるなと勇は言った。
「宗次郎、日本刀は木刀とは違う。振り回せば斬れるというものではないのだ。
斬る角度、速度、柄の絞り方が揃って初めて鋭利な武器となる。
柄の絞りが悪いと、刃が物に当たった瞬間に刃が曲がって駄目になってしまうこともある」
小刻みに頷く宗次郎の顔は蒼白だ。
その様子を離れた場所で見ていた歳三はなんだか気の毒になってくる。
(まだ早かったんじゃねぇのか?)
自分が初めて刀を握った時はどうだっただろう?
歳三は自問してみるが余りに幼かったせいか、よく覚えていない。
自分が強くなったようで勇ましくて得意げだったような気もする。
飾られていた兄たちの大刀を触ろうと悪戯をしてよく叱られていたから、
少なくとも宗次郎のようではなかっただろう。
動くまいとじっと腕を強張らせている宗次郎を見ていると、
可哀相は可哀相だが、悪い癖が出てもっと驚かしてみたくもなる。
「おーい、刀振り回してお前の大事な先生を斬るなよ。
万一斬ったらしっかりと懐紙で血を拭わねぇと固まって鞘から抜けなくなるぜー」
腕が疲れたのか徐々に刃の先を下ろしていた宗次郎がびくりと固まる。
余計なことを言うなとばかりにかっちゃんに睨まれた。
歳三は視線を逸らせてわざとらしく明後日の方向を見た。
「副長のは変わらず?」
総司が刀を土方の手元から取り返してそう聞くと、
なにやら考え込んでいた土方ははっと泳いでいた目を固定する。
「ああ、兼定だ。斬れるからな」
「本当は妖刀村雨丸なんじゃないですか、副長の愛刀は」
「お前な…」
土方が睨む気力も起きず萎えた視線を送ると、総司は満足そうに笑った。
周りに隊士がいないという気楽さから、つい土方もその笑みにつられてしまう。
「殺気をもって抜き放てば水気が発せられ、刀身に血糊もつかぬ・・・と?」
「おや、土方さんでも八犬伝なんか読むんですね」
「人から聞いた話だ」
焦った土方に総司は咽喉の奥で押し殺した忍び笑いを洩らす。
完全にからかわれていると思うが、何故か腹も立たない。
「最初はビビって漏らしてたおめぇが刀談義か」
少し仕返しをしてみたくて、土方は言った。
「失礼な。漏らしてなんかいない」
いつのまにか試衛館にいた頃の言葉遣いに戻っている。
気づいたけれど、二人とも改める気にはならなかった。
「まぁ、怖かったのは、確かですけど…」
総司は下げ緒の結び目を弄る。
「今は慣れたのか」
「少し違いますね」
慣れとは違う。それでは今の行為はただの殺戮になってしまう。
「刀を振るう目的が出来たからです」
「どう違う」
「全然違います」
土方は腑に落ちないという顔をしている。
「分かりませんか?」
考え込んだ土方が可笑しくてまた笑ってしまう。
守りたいもの。かなえたい夢。
意義があると思えるから、躊躇わずに刀を振ることが出来る。
言うなれば剣技だけが私が近藤たちの夢を叶えるために使える、唯一の武器なのだ。
総司の夢は近藤の夢、土方の夢そのものだった。
「沖田組長、見廻りの時間ですが」
バタバタと走ってきた隊士が慌てたように声を掛けた。
「すまない、すぐ行く」
忘れていたわけではなかったが、立ち上がるきっかけを掴めずにいただけだ。
土方が最近は親しい者にしか素顔を見せることが出来なくなっていると知っている。
立って、大刀を腰に差す。今はもう馴染んだ重み。
「沖田君」
「はい」
いつの間にか、土方は「副長」の仮面を被ってしまっていた。
腕を組んで総司を見上げながら素っ気無い口調でさらりという。
「気を抜かぬよう」
その気遣いの言葉は隊士には冷厳な言葉に聞こえたのだろうか。
背後で背筋を伸ばす気配がする。
相変わらず土方は不器用にしか優しさを表せない。
「承知」
総司は短く答えて背を向ける。
私のことは心配しないで下さい。
歩き出した背中には、微塵の躊躇いも見つけられず。