人はどれだけのものを守ることが出来るのか。
自分の身を守ることも危ういこの世の中で
人を守りたいと思うのは、驕った考えなのだろうか。










無垢な祈りならば










「酔ったのだ」
「…そうですか」

斉藤は全く酔ったそぶりも見せていなかったが、
そうはっきりと断言されると、沖田は頷くしかなかった。

「…で?」
「帰る」
「一人で?」

仲間と連れ立ってきていた、酒の席だった。
当然皆泊まっていくつもりのようだったで、気持ち良く酔っ払っている。
幹部同士の非番が重なることはほとんどなかったから、珍しい機会ともいえるだろう。
皆それなりにはしゃいでいた。

「じゃあ、私も一緒に」
「沖田さんは泊まっていけばいい」
「まさか。一人で帰せるわけがない」

いつ襲われるかも分からないのに、夜の一人歩きなど言語道断だ。
斉藤も充分そのことは自覚しているだろうにと、沖田は眉をひそめる。

そういえば今日の斉藤は最初からどこか妙だった。
そわそわと落ち着かず、時間ばかりを気にしていた。
四つを打った時、我慢ならないという風に立ち上がり、
急に酔ったから帰るなどと言い出したのだ。

「お、おお?なんだよ〜帰るのかよ」
できあがった永倉が空の徳利を振ってみせる。
「パチさんはごゆっくり」
笑いながら沖田は応じる。

「付き合い悪ぃぞお前らぁ」
原田の野次には「はいはいすいません」と謝っておいた。

「…すまぬな」
斉藤はぼそりと言い残して、さっさと出口に向かう。
永倉と原田を宥めて、遅れて沖田が追いつくと、
斉藤は清算を済ませ入り口で大刀を受け取っているところだった。

「急いでるんですか、斉藤さん」
沖田も自分の刀を受け取りながら聞くと、斉藤はわずかな間をおいて、

「…別に」

やはりなにか妙だ。


夜と言えども島原の町は明るい。
門をくぐり、しばらく歩くと静かな夜の闇が二人を包み込んだ。


「そういえば聞いたのだけれど」

五条ほどに差し掛かった時、沖田がさり気なく言った。

「休息所を持ったんですってね」

斉藤は歩幅を緩めずにちらりと沖田を見た。
近藤にも土方にも口止めしておいたというのに、一体誰から聞いたのだろう。

「だからかな」

沖田は構わず続ける。いつのまにか沖田の独り言のようになっている。

「急いで帰るのは」
「…別に」

うっかり答えてしまった。
沖田がにやりとしたのが気配で分かった。

「やはりそうなんだ」
「……」
「どんな人なんですか」
「……」
「誰にも言いませんよ」
「……」


沖田は一つ息をつくと、それきり黙った。
不思議と重い沈黙ではない。
廓で借り受けた二つの提灯がぼんやりと行き先を照らし出している。


散々迷った末、斉藤は口を開いた。
「普通の娘だ」
「そう」

沖田は本当に聞き上手だ。
そんな風に返事をされると、続きをしゃべってしまう。

「家のことは話たがらないが…壬生狼と一緒になるなら縁を切ると親に言われたらしい」
「嫌われ者だなぁ」
沖田につられて、斉藤も笑った。

「お前さんは女はいないのか」
「いません」
暗闇で相手の顔が明瞭に見えないからこそ、嘘がばれる。

「自分だけ隠すなんて卑怯だな」
沖田は微笑んでいるだけだ。
「…迷うことはないか。受け入れていいのかどうか」
間があった。

「迷いますよ」
重い声ではなかった。
だが冗談ではない真摯さがそこにあった。
斉藤は沖田の答えに少し安堵する。

「追い返したほうが良かったのかと思ってな」

親しい者たちと縁を切ってまで、側にいるほどの価値が自分にはあるのか。
斉藤は己の生き方を振り返ると自信がない。
そもそも一定の場所に留まったことすらなくなった自分に
帰る家が出来たことはほんのりと暖かく、同時に落ち着かなくさせた。

いつ死ぬとも知れぬ身で。
どちらに転ぶかも分からぬ世で。
すべてから守れる腕も無く。

一人が二人になって生まれる責任。
足を地に付けた不安感。
明日も明後日もこれからもずっと一緒にいられる確かささえもない。
それとも彼女はそんなことは望んでいないのだろうか。
しかしもし斉藤が今死んだら、また何かの事情で囲えなくなったら、彼女はどうするつもりなのだろう。
俺にお前は背負いきれないと、家を飛び出してきた時、突っぱねてやれば一番良かったのか。
考えれば考えるほど、分からなくなる。

「いつになく弱気ですね」

囁くように沖田が笑った。

「沖田さんならどうする」
「さぁ…」
「随分冷たいな」
斉藤は苦笑する。

「でも最近の斉藤さん、影が濃くなった感じがする」
「・・・?」
その意味することが咄嗟に理解できず、斉藤は怪訝な顔をした。
普段饒舌なくせに肝心なことは多くは語らない沖田はそれっきり黙ってしまった。


俺は怖れているのだろうか、と斉藤は思う。
でも何が怖いのか、上手く説明できない。
そして気づいた。
こんな風に血も繋がっていない他人のことを考え続け気に病むのは、
初めてだということに。


壬生の村が見えたところで、斉藤は右の道を指した。
「ではここで」
「気をつけてくださいね」
「すまなかったな、つき合わせて」

沖田は提灯を掲げて笑顔を見せた。
斉藤はこれから自宅に帰るのだ。
女は斉藤を迎え入れ、笑顔を見せ、共に枕を並べるのだろう。
その様子を想像すると、沖田はなんだか暖かい気持ちになった。

「斉藤さん」

行きかけた斉藤が沖田の声に片頬で振り返った。

「名前、何て言うんですか、その人」

「…、」

斉藤は噛み締めるようにその名を口にした。
その言葉の温度は何よりも雄弁に斉藤の想いを語っている気がして、
沖田の心にひっそりと染み入った。

斉藤の姿はもう見えない。
提灯の明かりだけが遠くの角に消えていった。