題十一話「還る夏の日」


「ふきちゃーん。私の扇子、どこにあるか知らない?白檀の…」
高らかなつねの声がする。
普段武士の嫁然とし、つつましく振舞っているつねには珍しいことだ。
それはここに嫁ぐ前の娘時代のつねの様子を思い起こさせた。
「居間の棚の上にありましたよ」
ふきの代わりに姑のふでが答えた。
あ、申し訳ございません、とつねはいつも通りの高さの声に戻り、あわただしく付け加えた。
「お母さん、そろそろ出ないと間に合いませんよ」
「おや、もうそんな時間かい」

8月13日の午前中、近藤家は朝から騒々しい空気に包まれている。
ふきは玄関からほど近い一室で、汗を掻きながら総司の着物の帯を結んでいた。
「やっぱり地味でしたかね。勇さんの昔の着物」
腰の細い少年は大人の帯だと長さが余ってしまう。
だらしなく長くならないように結ぶのに、ふきは苦心していた。
「これで充分だよ。わざわざ新調することなんてないの。私も奉公人みたいなものなんだから」
総司は大人びた口調でそう言い放つ。
しかしその声音に照れくささが混じっていることに気づき、ふきは笑いを堪えた。
ここで吹き出しては総司を不機嫌にさせてしまう。実際、総司の待遇は奉公人とは全然違う。
「大奥様は折角のお里帰りですから、一張羅で送り出したいんですよ。頂いたお小遣いは?ちゃんと持ちました?」
「うん…でもお小遣いなんて、いらないのになぁ」
ふきは笑む。
「お好きなものを買えばいいじゃないですか。おなか一杯お団子でも召し上がったら?」
そうだね、と総司はうなずく。
そう言っても、彼女は総司が自分のためにめったにお金を使わないことを知っていた。
家族のお土産に今年は何を買うのだろう。

奉公人にとって、お盆と正月は特別な意味合いを持つ。
13、4の頃から師匠や商家で奉公している子供たちは、休みもなく給金も与えられないのが普通であるが、
お盆と正月だけは休みをとって実家に帰ることができた。小遣いを持たされて、送り出される。
他家に嫁いだ女性にとってもそれは同じである。
実家へ戻り、両親の顔を見ることができる、数少ない機会なのである。
「さぁさぁ。奥様も大奥様も出発なされますよ。沖田さんも行かないと、送り火に間に合いませんよ」
はいはい、と総司が憎たらしい声を出す。
玄関に行くと、縞の単衣の着物を着たつねとふでが涼しげないでたちで立っていた。
「総司さん、参りましょうか」
はい、と着慣れない着物を着た総司がぎこちなく付いていく。

帰るべき家のある者は、帰っていく。
そして彼岸から戻ってくる先祖の霊を迎えて弔うのだ。
女性たち、そして勇や歳三や総司や源さんや、家のある者たちが帰ってしまい、
近藤家は灯かりが消えたように静かになってしまった。すでに戻る家もないふきは、
この家の先祖を迎えるために準備をする。
精霊棚や仏壇のおかざりとお供えをすませ、夕刻には軒先に吊るした盆堤灯に火をともす。
藍色の浴衣を着込んだ食客たちが、縁側でふきを迎えてくれた。
「ふきちゃん、線香花火をしようぜ〜」
原田の声にうなづき、ふきは平助や永倉と軒先にならぶ。
彼らは勇やふでがいないので、酒の飲み放題だ。だいぶ出来上がってる。
「着物の袖に気をつけなさい」
言った山南が団扇で静かに風を送ってくれる。火を点すと橙色の明るい花が咲いた。
故郷から遠い地にいる彼らは、何を考えながらお盆をすごしているのだろう。
その瞳に映っているのは、育った地の風景か、懐かしい人々か。あるいはその両方か。
あー落ちちゃった!と平助が声をあげた。無邪気な笑い声。
そこにあるもの。有限の命。
私も魂になったあと、いつかどこかへ還るのだろうかと、ふきはぼんやりと思う。


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