題六話「涼しい夏の過ごし方」


蒸せるほど暑い夏が来た。
今年の梅雨は空梅雨でちっとも雨が降らない代わりに、
どんよりと重苦しい湿気が立ち込めており、いつもの夏より数倍暑いような気がしてしまう。
試衛館の面々はいかに涼しく過ごすかについて苦吟していた。
「歳さん、暑いです」
「俺だって暑い」
「団扇、使います?」
「結構」
「見得張っちゃって」
「ほっとけ」
ふきと総司が使う団扇のパタパタという平和な音が響いている。

憎らしいほど風が吹かない。樽にはった水に足を浸していた平助が
「何か涼しくなる方法はないかな」と呟いた。
「おっ。良い方法があるぜ」
と得意気に言ったのはすでに半裸状態の原田だ。
平助は「何何?」と目を輝かす。
「暑気払いにはこれだぜ」
と原田は杯を煽る仕草をしてみせた。だが平助は冷たく言い放つ。
「却下」
「なんでだよ!」
「だって原田さんはいつもそれだもん。冬にだって”寒いから一杯!”って言うんだから」
聞いていた総司がクツクツと笑い声を洩らす。
「違いない。暑いから一杯。寒いから一杯。風呂上りに一杯。喧嘩したら一杯。めでたい時にも一杯だね」
「なんだよー。オトナにはオトナの楽しみがあんだよ。なぁ歳さん?」
「金ならねぇからな」
先手を打たれた原田がチェッと呟く。
こんな昼間から飲むつもりだったのか、とふきは青い空を見上げた。

「おふきちゃんは?何か良い案ない?」
「え?」
平助に急に話をふられたふきは驚いた。
普通の下女なら暑いと感じる暇もない程に、朝から暮れまで働いて、夜は泥のように眠るだけだ。
ただここは特殊で、下女と言っても待遇はとても緩かった。
だからふきも今年は甘んじて「暑いなぁ」なんてのんびり感じているのだ。
だから暑気払いの方法なんて早々思いつかなかった。

「えーと。無難ですけど、冷や水とか?」
冷や水とは、冷たい水に白砂糖と小さなダンゴが入ったもので、
江戸の町で「ひやっこい、ひやっこい」と売り歩いている。
一椀が四文と安価なのでふきのお小遣いにも優しい食べ物だ。
「冷や水っていうか、ぬるま湯だよねアレ…」
ため息混じりに平助。確かにとふきは笑った。
冷味を感じさせるように器は錫や真鍮を用いているとはいえ、
氷も冷凍装置もない時代である。炎天下で売り歩けばぬるま湯にもなる。
「じゃ、トコロテン」
「うう〜んトコロテンかぁ」
全員がうう〜んと唸った。たぶんトコロテンの触感を想像しているんだと思う。
「今日のお夕飯、トコロテンにします?」
「うう〜ん」
「そろそろ夕方だし、打ち水もして」
「うう〜ん」
「冷やしておいた西瓜を食べて」
「うう〜ん」
「一っ風呂浴びて、浴衣に着替えて両国橋を散歩するというのは?」
「うう…」

結局彼らはその通りに実行した。隅田川には花火が上がってそれこそ暑さを忘れるほどの華やかさだ。
金がないと言っていた土方が線香花火を買ってくれて、皆で誰が長く持ちこたえるか競争をした。
沢山話して沢山笑って、辺りには幽かに火薬の匂いがしていた。
何故だか懐かしいような寂しいような気分になりながら、明るい両国橋を後にする。


6/28



題七話「土用見舞いに来る人は」


夏の土用の日、今日はなんとなく総司が落ち着かない。
山南と平助が打つ碁を気のない様子で眺めたり、
土方の後を着いて廻って暑苦しいと怒鳴られたりして、
しまいには汗だくで虫干しする道具を出しているふきのところまで来て、
所在なさげに子供がするような手伝いをしている。
訳を聞こうにも、土用の日はてんてこ舞いの忙しさの上、
主力となるふでやつねは勇たちと近所の暑中見舞いに出かけていたから、
どうしようもなかった。

そうこうしているうちに、
「ごめんください」
と涼やかな声がする。
これに飛び上がったのは総司だ。ふきが答えるより早く、
一目散に部屋の奥に逃げていく。ふきが首を捻りながら玄関に行くと、女性が風呂敷を抱いて立っていた。
見たことのないが、声の印象どおりすっきりとした顔立ちの美人だ。
質素だが整えられた服装からはどこか武家風の香りがする。ふきは敷台に座って手をついた。
「お待たせいたしました。どちらさまで…」
と言いかけると、源さんが続いてバタバタと現れた。
「やぁ。ミツさんお久しぶりです。折角いらしてくださったのに、すいません。
今先生たちは暑気見舞い伺いに行っておりまして」
「あら。では入れ違いになってしまったかもしれませんね。
主人を残してきて、良うございました。こちら、つまらないものですけど」
「これはご丁寧に。どうぞ上がって行って下さいまし」
「いいえ。まだ廻るところがありますから、こちらで」
夏の土用には、暑中の起居を伺うために、人々は親類故旧の家々を見舞う。
普通贈るのは新芋か葛である。ふきは今日に備えて芋の購入を控えていたくらいだ。
今日は沢山の人が訪れて忙しくなるだろう。
「皆さん、お変わりなく?」
女性が風呂敷を畳みながら尋ねた。そういえばどことなくみ覚えのある顔立ちだな、と
ふきは源さんから手渡された包みの重さを計りながら、上目遣いにチラチラと女性を盗み見る。
「ええ元気にやっております。総司も元気で…あれ?
今しがたまでここらにおったんですが…。総司!総司!」

現れた総司はなんとも言い難い微妙な表情をしていた。
今にも笑い出しそうにも、怒り出す一歩手前にも見える。
「総司さん、こんにちは」
そこでふきは気づいた。この二人、姉弟なのだ。
相手を臆せずまっすぐ見詰める、その眼差しがよく似ていた。
「もっと近くにいらしてくださいな」
なまじ外が明るいだけに、玄関口から見た家の奥は薄暗く写る。
ミツの言葉に総司は「姉さんは目が悪くなったのですか」とらしくない皮肉を言った。
「まぁ小憎たらしい」
それでもミツは笑っている。
「この間まで寝小便していたくせにね」
「やめてくださいよ!いつの話ですか」
源さんの目配せで、ふきは包みを抱えて奥へと下がることにした。

待っていた癖に、男の子というのはどうしてブスっとした顔をしてみせるのだろう。
源さんは「恥ずかしいんだよ。年頃だから」と笑う。
その後土方さんのお姉さんという人も訪れたが、土方さんは礼儀正しく接していながらも、
少しバツの悪そうな表情をしていた(珍しいものを見てびっくりした)。
どうやら男というものは女きょうだいにめっぽう弱いものらしい。

夕餉の席で「来てくれる人がいるのは良いことじゃないか」と
少し平助が羨ましそうに言っていた。
「しかもあんな美人の」
付け加えた原田の言葉に、触れられたくない話題なのか、二人は聞こえない振りをしている。


7/25



題八話「待つ宵の果て」


あれから幾つかの季節が過ぎたけど、まだ私達は来るはずのない人を、
待ち続けているような気がしている。

「もし、勇さまが数週間だけ戻ってきたらどうなるか考えてみたの」
つねが唐突にそんなことを呟いたのは、二人で向かい合って洗濯物を畳んでいた宵の口だった。
「数週間だけなのですか?」
ふきはその突飛なつねの想像に微笑んだ。
勇が打ち首になってすぐの頃、つねは頑なに勇の話をしなかった。それからしばらくすると思い出話をしながら泣くようになった。
そして最近は穏やかにこんな話を聞かせてくれるのだ。
「そう。少しの間だけ、何も無かったみたいに。その復活を強く願った人の側に、
生きていた時の姿のままで、戻ってくるの」
襦袢を畳んでいた手を止めて、つねは庭に目をやる。ふきもつられて暮れ行く庭を見た。
真っ赤な彼岸花が咲いている。「人が立っているような花だ」と評したのは、誰だったろう。
「あの人はたまの成長を喜ぶでしょうね。そして私に苦労をかけたと謝るかもしれない。
優しい人だから。一緒に夕食を食べて、箪笥に仕舞ったままだったの着物を着て、床につく…」
つねが今でも季節ごとに勇の着物を新調しているのを、ふきは知っている。
それらは袖を通されぬまま箪笥に大切に仕舞われ、少しずつ増えていく。

「でもね、あの人はやっぱろここの道場主の続きはしないと思うの。
いいえ、数日は門弟たちに稽古をつけて、嬉しそうにしているかもしれない。
でも、人から話を聞いたりや瓦版を見たりするうちに、我慢できなくなって自分で確かめに行くんだわ。
土方さんや沖田さんと一緒に刀片手に飛び出すのよ。
私に侘びたその口で”すぐに戻るから”なんて言って」
ふきは笑った。申し訳なさそうにしながらも興奮を隠せない、勇の横顔を思い浮かべてしまったので。
「あの人が京都に行かずに、ずっとここにいてくれたらどうなっていただろうと、
想像してもみたけれど、やっぱりうまくいかないの。一度ここに戻ってきて武勇伝を語っていたた時の、
誇らしげな笑顔を見てしまったからかもしれないわね。あれ以外の生き方は、あの人に合わない気がするの」
つねは畳み終えた洗濯物を積んで、上からぽんと叩いた。

「つね様はすごいですね。私だったら、そんな考え方できないと思います。
私バカだから、一方からしか見られなくて、…恨んでいたかもしれない。」
「あら、恨めしく思う時もあるわよ。時には心の中でなじることもある。
それでも時々、いとおしく思い出してしまうの。不思議ね」

一人亡き夫と対話し続ける彼女を、人は哀れだと言うだろうか。
でもふきは、つねが不幸なんかじゃないことを知っている。
たまと向かい合う時のつねはひどく幸福な母の顔、勇の話をする時は許しを帯びた妻の顔。
──彼女は今も、勇と共に生きているのだ。

「冷えてきましたね。暖かいお茶をお入れしましょうか」
そうね、とつねが布を抱えて立ち上がる。ふきも、台所へと向かった。
ふきが長きに渡ってこの家を去りかねているのは、
ふきもまた、彼らの残像と共に生きているからかもしれなかった。


9/21



題九話「雪の降る日は一緒にいよう」


しんしんしんしん。
雪が降る。

ガラリと玄関の戸が開く音がして、雪まみれの源さんが中に入ってきた。
ふきは飛んでいって、彼の体についた雪を払うのを手伝う。
「雪かきは雪が止んでからにすればいいのに」
土間の地面に落ちた雪は音もなくするりと溶けていく。
「いや、この調子じゃ何時止むか分からないからね。
あまり積もると玄関の戸が開かなくなってしまう」
「そういうものなのですか?こんなに雪が降ったの見たことないから」
ああ、と源さんは顔を上げた。その鼻が赤く染まっている。
「確かに江戸でこんなに雪が降るなんて珍しいねぇ」
脱いだ羽織を受け取って、ふきは「本当に」と相槌を打った。

朝起きて、いやに空が青いなぁと思っていたら、夕方になって雪が降り出した。
そしてそれから一時も止むことなく、雪は降り続けている。
「やまないねぇ」
と笑っていた顔が次第に深刻になっていって、試衛館の人々は
代わる代わる雪をのけたり屋根からおろしたり、新しく薪を割ったりしている。
「庭木の雪もおろしたほうが良い。枝が折れてしまうよ」
意外なことに一番落ち着いているのは山南だ。
彼は奥州の出身なのだということを後に知った。
その助言を受けた近藤が慌てて庭に降りていく。
周斎先生が大切にしている松の木の雪を丁寧に落とし始めたのを、妻のつねが手伝う。

「ねぇねぇ見た?雪が横殴りだよ」
「見た見た。すげぇよな。北斎の浮世絵みたいだな」
平助と原田が囲炉裏に炭を足しながら子供のような会話をしている。
「ほー。お前も春画以外の絵を見るんだな」
「歳さんひでぇ!」
いつの間にか部屋から出てきた人々が一番温かい囲炉裏の側に集まりだしていた。
違和感を感じたのは、試衛館に住む全員がそこに揃っているからだ。
そういえばここの住人はいつも誰かしらいない人がいて、その出入りは不特定だった。
その会話の輪に山南が加わる。
「こういう雪が降る夜には、美女が現れて人を殺すというね」
「やめましょうよーそういう話ー…」
情けない声を上げたのは総司だ。
彼は怖い話が苦手なくせに、続きが気になって聞いてしまう。
「美女は雪女と呼ばれている。彼女は白い着物をまとい、長くすきっぱなしの髪に透けるような白い肌をしている。
そして冷たい息を吹きかけて男を殺す。雪女に殺された男は、幸せそうに笑った顔で死んでいるそうだよ」
うわーという悲鳴と笑い声が上がり、彼らは少年のように身を寄せ合った。
何をやってるんだいあんたたちは、とふでが突っ込みを入れて囲炉裏端を通り過ぎる。

試衛館の人々が全員家に揃っている。そして同じ話をして、同じ場所で、雪が止むのを待っている。
そこには不思議な一体感と暖かみが感じられた。ふきは嬉しくなってくる。
「おふきちゃーん、熱燗三本つけて」
「あ、はーい」
近藤の声にこたえて、ふきは厨へ降りていった。
沢山の笑い声が火を囲む。
ふきは上機嫌で頼まれた分より一本多く、鍋に並べて温めだした。


12/23


題十話「さよならの桜」


「本当によろしいのですか」
ふきが聞くと、沖田は昔と同じように目元をほころばせて笑った。
「早く早く。満開になってしまったら駄目なんでしょう?
なら今やらなきゃ手遅れになってしまう」
春のあかりに満ちた庭で、一見おままごとのような遊びをする。
世界のどこかでまだ戦が起きているなんて、とても信じられなかった。

桜が咲いている。
まだ散り始めるには早い、七分咲きの八重桜が、枝一杯に連なっていて、
世界を別物のように華やかに見せていた。
ひとつひとつなら可愛らしい小さな花弁なのに、満開になった木の下から眺めると、
その美しさは圧倒的で、つい手をかけるのを躊躇ってしまう。

ふきは言われた通り、手を伸ばしてその花をもぎ始めた。
ぷつりと、もいだ時の感触が手に残る。
形を残したまま首の部分から千切られた花が、広げた前掛けの中に次々と落ちていく。
「お庭に桜があるなんて珍しいですねぇ」
「そうだね。普通、桜は虫が付いて手入れが大変だから嫌われるけど、
平五郎さんはきちんと世話をなさる方だからね。気になさらないんだろう」

沖田はあの頃と変わらない。
変わらない人懐っこさ。変わらない優しさ。変わらない笑顔。
でもあの頃とは決定的に違う。
京都にいる間に身につけたと思われる、その柔らかな抑揚の話し方や
大人びた言葉遣いが、年月の流れをふきに自覚させる。
ともすればあの頃のままの沖田がそこにいるような気がして
油断してしまうふきを、時々諌めるかのようだ。
「このくらいでいいですか」
「ああ、綺麗だね」
萌黄色の前掛けに薄紅に色づいた花が幾多も落ちている。

再び庭に戻ると、井戸から汲んだたっぷりの水でそっと洗った。
そしてザルにあけ、塩をまぶして器に入れる。その上に重石をすると、
じんわりと花弁の水分が上がってきた。沖田は縁側に座ってふきの手元を熱心に覗き込んでいる。
「どうして急に塩漬けを作りたいなんて、おっしゃったんですか?」
見よう見真似で沖田も同じように桜の花の塩漬けを作り出す。
細く痩せた指が壊れ物を扱うかのように、花を抱く。
「暇だからー」
明るい声が低く響く。
江戸を出た時も声変わりは終えていたはずなのに、響きはどこか違いがある。
「それだけですかー」
茶化して語尾を伸ばした沖田に、同調してふきも相槌を打つ。二人で笑った。
「結構簡単に出来るんだね」
「いーえ。まだです。この後水気を切って赤梅酢に浸して、七日漬け込んだ後、
まだ水気を切って陰干しにするんです。そしてもう一度塩を振って出来上がり」
「そんなに手間がかかるの?!」
沖田は子供みたいに目を丸くする。そうですよ宗次郎くん、と呼びかけてしまいそうだ。
「男の人はバクバク食べるだけだから知らないんですよ」
「なるほどねぇ。その言い方変わらないね、おふきちゃん」
「お陰さまで。とりあえず今日は酢漬けにするところまでしましょうね。また七日後に来ますから」
「うん。ありがとう」

酢で満ちた壷の中に萎れた花が沈んでいく。こうした桜の塩漬けは保存食になる。
もち米にまぜて桜おこわにしたり、湯に浮かべて桜湯にしたり。
仕込みが終わると、ふきはおいとまさせてもらうことにした。
ふきが告げると沖田は何の屈託もなく、「ご主人によろしくね」と笑うが、
本当は寂しかったりするのだろうか。ふきはその表情を読もうとする。
だがいつも沖田の笑顔は隙がない。こんな笑顔の仕方をいつ覚えたのだろう。
訪れては去っていく、近藤や土方や大好きな見舞い客を見送るたびに、
彼はこんな笑顔をしているのだろうか。
哀しいくらい、布団の白が眩しい。

「絵師が使う絵の具より、沢山の色が、この世界にはあるんだね」
そう言って笑う沖田の笑顔は光に融けていきそうなくらい、透明だ。

翌年、桜湯にして飲んだ彼の桜はひどくしょっぱかった。
おそらくこれを飲ませたかったであろう近藤も土方も、そしてこれを作った沖田自身も
いなくなってしまったというのに、世界はまだ、鮮やかなまま。


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