志を同じくして強い絆で結ばれていても、所詮それは儚いものだ。
ちょっとしたこと、例えば疑惑や行き違いや不信や病や、そんなものであっけなく
強固な砦も修復不可能に崩れてしまう。それなのに人はそれを永遠だと、思う。








永遠の犠牲さえ










少し前まではそれぞれの命日を記憶していたのだ。
日々忙殺される中でも月命日の日には密かに一秒でも手を合わせ、
亡くなっていった人たちのことを思い出すようにしていたし、そうでなければならないと思っていた。
しかし、何時からか、覚えきれなくなった。
一度記憶から出てこないと、もう反芻するのさえ億劫になり、
繰り返してきたその習慣はなくなり、記憶は忘却の彼方へ溶けていった。
しかしそれがいつからか、何がきっかけだったか、実は見当がついている。
おそらく源さんが亡くなったころから。
特に親しいというわけでもなかったのに、どうしてなのか自分でも分からない。
ただ、糸が切れてしまった。
その日から、命日を覚えるのも手を合わせるのもやめた。何も日常は変わらない。
少し空虚な感じがするだけだ。





「どうぞ」
目の前に湯気のたった湯のみが差し出された。
驚いてその声の主を見て、土方はからかうように眉を上げた。
「茶ではないか」
「その通りです」
飄々としたその言い方に思わず笑みが漏れる。
「一体何処から調達してきた?」
「そこらの農家から」
「君にしては気が利いている」
冷たい夜風で芯まで冷え切っていたから、正直暖かい飲み物の差し入れは有難かった。
そ知らぬ顔で隣に立った斉藤はひっそりと問いかけてくる。



「何が見えますか」
「…何も」
何が見えるかと聞いた斉藤も斉藤なら、何も見えないと答えた土方も土方だった。
二人の目には煌煌と明るいかがり火が見えていた。
敵軍の陣営の灯りがまるで威嚇するかのように燃えている。
しかし会津若松の辺りは暗い。まだ城は落ちていないというのだから、
人は残っているはずだろうに、物資が足りないのだろうか。
会津の八月といえば秋も過ぎている。もう空気は冷たく凍り始めていた。
「他の隊士たちは?」
「休ませています」
「そうか…ご苦労」
白河城、母成峠と敗戦を続けていた新選組は、鶴ヶ城に入城しようとしたが、
既に会津軍は篭城して門を閉ざしており、敵軍がその周囲を取り囲んでいた。
蟻の一匹も入る隙間もなく、新選組は塩川村に転陣。
じりじりと焦りながら成り行きを見守っているしか出来なかった。



刺すような冷たい風が吹く。はためく着物の裾が耳障りな音を立てる。
奥歯に力を入れていなければカチカチと歯がなりそうだった。
手にした湯飲みの暖かさが急速に失われていく。



「何か用があったのでは?」
無言の斉藤に焦れて、土方はそう口にした。
斉藤は一度ゆっくりと瞬きをして、開けた横目で細く土方に視線を向けた。
その斉藤の仕草が苦手だった。本人は深い意味もないのかもしれないが、
何か試されているような、見透かされているような落ち着かない気分になる。
「いいえ?」
当然のように返事をされて、土方は眉を潜める。
いつものことながら行動がよく分からない。有能だがなんとも扱いにくい男だ。
ではさっさと去れと気配で示してみせるが、そんなものは最初から斉藤には聞かないらしかった。
そのまま、二人無言で立ち続ける。奇妙な風景だった。



「お前、何故会津まで来た」
仕方ないので、土方は常々疑問に思っていたことを言ってみる。斉藤はもう一度あの仕草で土方を見た。
「私が残ったのがご不満で?」
その言い方に苦笑する。
「そうは言ってない」
「そうですか」
全然会話が噛みあっていない。が、不思議と険悪な雰囲気ではなかった。
思えば妙なものだ。近藤に沖田に永倉に原田に藤堂に山南に…あの頃親しくしていた仲間は
誰一人として側に残っていないのに、今は斉藤だけがいる。
斉藤には正義も意志も何もないように見えた。
有能ではあったし、腕も立ったから、京都時代から他の誰でもない斉藤に危険な仕事も任せてはきた。
しかしそれは信頼とは少し違う。流されるように生きている男だから、限界まで行き当たった時、
まさしくこんな状況の時、真っ先に居なくなってしまうものと思っていたのだが。

「ただ逃げそびれたんですよ」
「嘘をつけ」

即答した土方に斉藤は笑む。本当に何を考えているのかさっぱり分からない。
ただでさえ分かりにくいのに、本心を隠そうとするのだからなおさらだった。
仕事だけの付き合いならずっと続けてきた。しかし斉藤の内面、
思惟や思惑や願望やそんなものを何も知らないままなのに土方は気づく。



「副長」
呼ばれて土方は斉藤を見た。
「私は会津に残りますよ」
「何だって?!」
急にそんなことを言うものだから、土方は目を剥く。
大きな声を出してしまった自分に躊躇して、声の高さを落とす。
「どういうつもりだ」
「さぁねぇ」
悠長なその態度に段々イライラしてくる。もともと気が長いほうではないのだ。
「死にたいのか」
「死にたくはありませんよ」
「ではなぜ。まだ戦える場所は残っている!」
「そう、残っている。ここにも」
これでは永倉と原田の時と同じ会話だ、と思うのだが、あの時とは違うものが一つある。
斉藤の目だった。静謐で、凪いだ海を思わせる目。

「副長、俺がここまで残ったのはあなたを尊敬していたからだ」
土方は息を止める。
「驚くに値しない。俺はこんなに長く一箇所に留まったことがなかった。
あなたの…あなたがたの熱意は俺を動かした。最後まで見届けたいと思った。
しかし俺には俺の事情があってね。ここだけは見捨てられない」
「女か」
咄嗟に土方は言う。
「すべての男が女で動くと思わないほうがいい」
「会津は落ちるぞ」
「聞くに及ばない」



土方は瞑目した。斉藤が去るのだろう、衣擦れの音がする。
「斉藤」
背中に声を掛けた。斉藤は歩みを止めて首だけで振り返る。
引き止められるとは思っていない。人は自分の信じる道を進むしかなく、
それは誰に引かれるものでも強制されるものでもないのだから。



「俺は命日は忘れることにした」
「は?」
耳に五月蝿いくらい、風が鳴っている。
「だから君が死んでも手は合わせない」
「…沖田さんの言っていた通りだ」
「なんだと?」
「励ましているのか?不器用なお人だ」
土方は憮然とした。



道は別れる。それぞれの方向へと。別離。決別。儚いけれど、人の為す力のなんと眩しいことだろう。
もう側にはいない。命日も忘れた。だから、まだ奴らは何処かで戦い続けていると、思っていよう。



「行き給え」
最後に彼に向けた言葉は心なしか爽快に響いた。
斉藤は答えずに可笑しそうに目を細める。



翌日、土方は部下を率いて、仙台に向かった。
山の峰から見下ろした鶴ヶ城は、多くの家臣とその家族を内に守るには余りにも小さく装飾的に見えた。